魯迅のお孫さん

魯迅のお孫写真家の周令飛さんは最近どうしているのだろうか?
一度東京の写真展会場でお目にかかって、ご挨拶以上の会話をしたことがある、何を話したのか思い出せないが、
文革のころのこと?・・・
背の高く、痩せた、人懐っこい青年が、興味のある話題になると相手の目を覗き込むような姿勢で話始める姿だけは覚えている。

日本に留学しているとき、台湾の女性と恋に落ち、共産党を離党し、台湾に移り住み、結婚。
その後、上海にもどり、伝記映画「魯迅」に関わったことまでは、ネットで見聞きした。

いくつか本を書いている、そのひとつ。
北京よ、さらば―魯迅の孫が綴る中国の30年 (1983年)

柳田國男

古本屋の店先に定本柳田國男集第四巻が置かれていたので、手に取り、数ページ読んだあと、購入。
105円(消費税が5%だったころの売れ残り?)。
柳田國男は、旧字の紙の書籍の方が、読みやすい。
「遠野物語」「山の人生」を一気読み。

「山中にサトリという怪物が居る話は方々の田舎で聴くことである。・・・」

東陽一監督の「日本妖怪伝サトリ」は、このサトリなんだけど、もっとサトリの深い世界を見せて欲しかった。

定本柳田國男集 4 1円から!?

青と緑の混用

お名前を失念してしまったがある言語学者がこんなことを言っていた。
「日本人にとって韓国語は、最も簡単に身につくが、上達させるのが最も難しい言語だ。」
逆もそうなんだと想像する。「韓国人とって日本語は、最も簡単に身につくが、上達させるのがもっとも難しい言語だ。」

バラエティ番組でのアイドルの話だけではなく、学者の論文やエッセイでも、ときどき同様なことを発見する。

李寧煕さんの「フシギな日本語」を再読していたら、こんな言葉に出くわした。

「三歳児のミドリにさえ達していないアオの二才」の意味ではないでしょうか。

からかっているのだろうか?
嬰児は3歳くらいの赤ちゃんとしても、青二才は若い大人に対する言葉だ。

青と緑の混用は、色覚(知覚)の問題で、日本語の語源から生じることでもない。
また、日本語だけに起きることでもない。
東北大の研究などに詳しいーーー。
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20170301_03web.pdf
世界中の言語で、青と緑の混用が見られるのではないだろうか?

李寧煕さんが枕詞や額田王の難解歌を一刀両断に読み解くのは、気持ちの良い面白さだが・・・。

記紀万葉集の音韻

日本古典文学大系−万葉集1によると「、記紀万葉には973の万葉仮名が用いられている。・・・
当時は、母音は8っ区別されていたことも分かって来た。・・・

7〜8世紀に編纂された万葉集の音韻はどのように調べているのか?

橋本進吉の本でも読むとするか! (巨大な迷路に入り込んでしまったようだ・・・?)
古代国語の音韻に就いて―他二篇 (岩波文庫 青 151-1)

万葉集の解説によると、
当時、a i u e oの母音の他にä ë öがあったいう。「今日とははなはだしく相違してているものに、サ行の頭子音、ハ行の頭子音がある。・・・」サ行の頭子音というのは、サ(sa)ではなくツァ(tsa)であり、ハ行の頭子音は、ハ(ha)ではなくファ(fa)であった。
スもツ(tsu)になるけど、タ行ツとはトゥ(tu)区別して発音されていた。

万葉集の朗読はいろいろあるが、奈良時代の発音でだれかやってくれないかなー。

高麗尺、唐尺

万葉集を読みなから、百済と新羅の尺度法はどのようなものだったのか(?)気になったので、調べてみた。(飛鳥万葉奈良時代のことなので、高麗尺は当然高句麗尺のことだ。)

愛知県立大学大学院国際文化研究科論集11(https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=244&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=17)の、「古代韓・日(日・韓)の文化交流 ―相通じる古代東アジア世界―」を発表した尹善泰先生(プロフィール不明)が、次のように述べている。

「中国の尺度制の伝播過程が日本の場合なぜ高句麗を通じて行われ たのか、古代日本の尺度制成立過程における高句麗の役割は何だったのかをよ く考えるべきだと思う。」

「高句麗尺はどのように誕生したのだろうか。高句麗尺を直接使用した新羅と 古代日本に注目する必要がある。」

「高句麗尺を使用した新羅と古代日本の共通的基盤 から見て、無理な判断ではないと思う。 一方、高句麗と百済は両国とも楽浪・帯方郡を通じて同じ時期に中国文化を受け入れたが、律令の受容と変容過程に大きな差が見られる。これは尺度制 からも明らかである。百済から出土した尺で見ると、中国と大差なく後漢尺、 南朝尺、唐尺を順番に取り入れて、そのまま使用したことが分かる 13。」

「百済を高句麗尺文化圏に入れることは資料で裏付されない。」

古代日本が高麗尺を取り入れたのは、直接高句麗との交流からでなく、新羅を経由してだと想像していたが、

古韓尺を提唱している学者がいる。

日航123便墜落

日航123便の墜落の真相追究を続けている青山透子さんの本を初めて読んだ。
関心がなかったわけでない。しかし、原因は隔壁の修理ミスで垂直尾翼が失ったと思い込んでいたし、犠牲者が多かったためか(?)いろいろな情報があふれていたが、不条理な日常になれてしまっていて、日航123便墜落は「幕引き」されたと思っていたので、単行本を読むことはなかった。

ところが、青山透子さんの日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫るを一読すると、納得できる原因究明はひとつもなく、墜落を引き起こした隔壁の損壊からして疑わしいことや、ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体、さらにファントム二機と赤い物体目撃などが提示されているので、33年たっても疑惑は深まるばかりだ。

青山透子さんは、ジャーナリストではなく元JALのステュワーデス(客室乗務員)だった人だ。だから、彼女が書くルポルタージュは、他のジャーナリストとは書く覚悟みたいなものが違うように感じる。
また、彼女が2010年に書いた日航123便あの日の記憶 天空の星たちへを最初に読む方が彼女の「自分の生き方に納得できる人生を最後まで歩む」という姿勢が、原因究明にも現れていて、火炎放射器疑惑から入るより冷静によめて良い思う。
この本はKindle版で読むことが出来る。

改訂新版も出たようだが、読んでいない。
日航123便墜落 疑惑のはじまり: 天空の星たちへ

最新刊日航123便墜落 遺物は真相を語る

巨大な闇の中で、無数の悪(判断ミスも含む)が、同時に一つの空間(JA8119)で進行すると恐ろしいことになる。
青山透子さんの着地点はどこだろうか? 

豊、豐,丰,풍, phong

私の名前「豊」は、中国語では、feng1声、フェンではなくフォンが近い。ngは鼻の抜くンだから、日本で使われている過程でngが消えてホウになったのではないか?
韓国語では、풍、プンpung、これもngだから鼻に抜くンで、日本語で使われる過程でブとフに変わったのではないか?
ベトナム語はphongフォン、日本語とは直接の関係性はないが、周辺国として中央からの「距離感」が日本と同じようなことなのではないか?

訓読みの一つトヨは、古事記日本書紀でも豊の国として出てくるから昔から使われていた。
律令制度の変更で、豊国が豊前、豊後に分けられ、現在につづく。ブンゼン、ブンゴ、という古代百済語の影響を残している。

問題は「ゆたか」。いつごろから使われたのか?
万葉仮名の由多氣が豊に変わったのはいつごろか?
豊がゆたかと訓読みするようになったのはどのあたりでいつごろか?
ーーー日本語の成立起源なんだけど・・・。謎の四世紀に関わっていたりすると面白いんだが・・・。

(ところで、奄美大島では豊(ゆたか)が名字の人がいる。
薩摩藩が封建的支配として、島の役人に一字の姓を名乗らせたことなので、訓読みの出現とは直接関係ないが。)

ゆたかのルーツを追って旅行撮影したいなー。

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ウジェーヌ・アジェ

疲れたとき、見る写真集がある。

フランスの写真家ウジェーヌ アジェ(1857〜1927)のパリの街を撮った:Atget Paris

無意識に開いたページから始め、一枚ずつめくり、・・・、彼はどんな思いでシャッターを切ったのか(?)元はとれたのだろうか(?)・・・、100ページほど進むと、自分自身が恵まれた環境にいるものと錯覚する。
何でもない通りの写真に涙が落ちる。
100年前のことか・・・。

アジェが撮っていたのは「画家のための資料写真」。

なくなる2年前、アメリカからやってきたマン・レイやベレニス・アボットによって、存在が知られるようになった。

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カール・マイダンス

カール・マイダンスCarl Mydans(1907~2004)はアメリカの写真家。
Lifeに所属した写真家。
多くの人が、第二次世界大戦、また朝鮮戦争での歴史的瞬間を捉えたマイダンスの写真、一度は目にしたことがあると思う。

手に入りやすい写真集は
Carl Mydans: Photojournalist

カール・マイダンスは、フィリピンおよび上海で、日本軍の捕虜になり、合計21ヶ月拘留された。
そういう経験が持ちながらも、戦後time-lifeの東京支局長を務めた。

アラ・ギュレル

「イスタンブールの瞳」と呼ばれるトルコの巨匠、アラ・ギュレル Ara Gülerは、1928年生まれだから今年で90歳。
古き良き時代の「人間愛」をストレートに表現した写真家。

写真集は、ノールベル賞作家のオルファン・パムークが序文を書いているAra Guler’s Istanbul: 40 Years of Photographs (Hardback) – Commonが良いのだが、現在手に入らないかもしれない。

で、セカンドチョイスがこれAra Gueler: Fotografien 1950-2005

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